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1・2・3の小説を読まれてない方は
こちらからお読みいただければと思います。
一次にも引っ掛からなかった小説 1
一次にも引っ掛からなかった小説 2
一次にも引っ掛からなかった小説ー3
それでは3の続きをUPします!!
終業式が近付き、短縮授業で早帰りとなった菫は、バイトの時間まで2時間程早かったが、アップスタートに向かうことにした。
お店に着いて、扉を開けようとすると、扉が開き、内側からリョウが出てきた。
「あれ、マコちゃん早いね。」
「今日から短縮授業。」
菫の正面に立つリョウの顔を直視できずに、開いた扉から店内を覗くようにして答えた。
「まだ、みんな、来てないよね。」
「そうだね。トオルが来ているだけ。」
トオルがフロアの掃除をしているのがリョウの向こう側に見えた。
「マコちゃん、ちょっと、買い出しに付き合ってもらってもいい。」
「いいよ。私も時間潰しになるし。」
菫に気付いたトオルが手を振っているのが見えて、軽く手を振り返した。
買わなければならないものが沢山あるといって、右手に持ったメモを見ながら歩いているリョウの横を歩きながら、菫は見慣れた通りがいつもと違って見えることに気付いた。
燦々と降り注ぐ太陽の下、通りをじっくりと見ることができた。店先に置かれた破れた段ボールの空箱や、電気が消えて汚れが目立つ看板が目についた。
通りは、怪しげな雰囲気を失い、全ての物が鮮やかな色彩とくっきりとした輪郭を持ってそこにあった。
呼び込みの男やサンドイッチマンも、初めて真っ直ぐ見ることができた。彼らは、お祭りが終わって疲れ切っているようにも、今から始まるお祭りに備えて体力を温存させているようにも見えた。
駅前のショッピングモールの食料品売場の果物コーナーで、りんごやイチゴ等の果物をじっくりと吟味しながらカゴに入れていくリョウの横で、菫はぐるっとフロアを見回すと、隣のお肉のコーナーで、パックのお肉を選んでいる女性と、その女性と手を繋いでいる小学生位の女の子が目に入った。
「私も小学生の頃、お母さんとよく晩御飯の買い物に行ったな。」
溜息のように、言葉がこぼれた。
「羨ましいな。そんな思い出があって。」
オリーブを手にしたリョウが菫と同じ親子を見ていた。
「小学生の時に、母親と一緒に買い物に行った思い出なんて一つもないんだ。」
手にしていたオリーブをカゴに入れながら、リョウが言った。
「リョウは男の子だから、お母さんと買い物に行くというより、お父さんとキャッチボールとかでしょ。」
「残念ながらそれもない。」
リョウはおどけたようにそう言うと視線をまた果物コーナーに戻した。
「私はもうお母さんとの新しい思い出を作ることはできないんだ。リョウのお母さんは生きているんでしょ。これから思い出を作ることができるかもしれないじゃない。」
リョウは何か考え事をしているかのように、じっと果物コーナーの一角を見たままで、何も言わなかった。
「今日から新しい子が入って来るんだ。ヒカルちゃんって子。初日で早い目に来る予定だから、もう着いていると思うんだけど。」
お店に着いた時、リョウが思い出したように言った。心持ち緊張しながら、ロッカールームの扉を開けて中を覗くと、見たことのない女の子が驚いたように振り向き、菫と目が合った。
その女の子は慌てた様子で、右手に持っていた白い四角い形をした物を、スカートのポケットに突っ込んだ。
「おはよう。」
と遠慮がちに声を掛けると、その女の子は、視線を反らしたまま、
「おはようございます。」
と菫の前を通り過ぎ、ロッカールームをそそくさと出て行った。
一日の終わりにベットの中に潜り込んでから、アップスタートのファイルを開くことが、菫の日課になっている。
―私は、自分のことだけを考えて逃げたんだ。弟のことを置き去りにして。
ただただ、遠くに逃げなくてはって思って逃げた。そして、今も逃げ続けている。でも、いつまでも逃げ続ける事はできないとわかってはいる。
私の母は優しい人だった。父親が家を捨てるまでは。私が5歳の時に父は家出した。弟はまだ1歳になったばかりの頃。多分、女が出来たんだと思う。
それから、母は少しずつ、恐ろしい人になっていった。私が小学生になった時、「母さん、先生が今度家に来るって。多分、給食費のことだと思うんだ。」と私は、その日先生から渡された手紙に書かれていたことを母に言った。母は私に背を向けたまま、テレビを見ていた。テレビの画面には、沢山のタレントが大きな口を開けて笑っている姿が映し出されていた。
ボソボソと小さい声で言ったので聞こえなかったのかと思い、もう一度大きな声で母に言った。「お母さん、先生が…。」最後まで言い終わらない内に、母が振り返った。
その瞬間、私はヒっと声をあげてしまった。テレビを見ている母も画面の中のタレントと同じように笑っていると思っていたのに、振り返った母の顔は無表情でどんな感情も読み取れなかった。
私は、もう続きを言うことなど出来なかった。押し黙っていると、母の口がうっすらと開いて、感情のない低い声が聞こえた。「給食は食べませんといいなさい。」それだけ言うと母はまた、テレビの方へと視線を戻した。
私は、先生には何も言わなかった。
そして、私は新聞配達を始めることにした。新聞配達の社長に、その月にいる給食費のお金を引いた金額をバイト代として母に渡してほしいと言った。そして、給食費として引いた分を自分に直接渡してほしいとお願いした。社長は事情を察してくれて私の願いをかなえてくれた。
しかし、それも長くは続かなかった。母が、バイトに入っている時間の割に貰えるお金が少ないと言い出したからだ。母は、近所にその新聞屋さんのことを吹聴してまわった。
社長は、私の家まで来て、母を諭そうとした。私に別にお金を渡していることを告げ、子供の事を考えるように言った。母は狂ったように、私を叩き始めた。「おかあさんが、給食費を払ってくれないようなことを外で言うんじゃないよ。私に恥をかかせる気か。給食費とか言って、何に使っているかわかったもんじゃないね。」と叫びながら。
新聞屋の社長は、母を羽交い締めにして止めようとしたが、母が大きな声で社長を痴漢呼ばわりしたので、社長は苦しそうな目で私を見た後、去って行った。
私はただ、歯をくいしばって、母の怒りがおさまるのを待った。抵抗すれば苦しみの時間は長くなるだけだと。自分が逃げ出すと、私の代わりに、弟が母の怒りの標的になるのもわかっていたから、母にされるがまま、じっと我慢した。
人生には苦しみと同じ分だけ、嬉しい事もあるんだと教えてくれた新聞屋の社長の言葉を自分に言い聞かせて。―
2つ目のファイルを開く。
―私はその日、中学の友達と遊びに行く約束をしていた。すると、母が今日は、出掛けるから友達に遊びに行くのを断るようにと言った。母が私と一緒に出掛けようとするのは、いつ位ぶりだろうか。私は母にどこへ行くのか尋ねた。すると、母は一瞬、言葉に詰まったように目線を泳がしてから、海へ行こうかと思うと行った。私は海という行き先が意外で、海へ行くの?と聞き返すと、母は少し不機嫌そうに、そうよ。と短く答えた。余り気乗りしなかったけれど、もちろん母の言うことに逆らうことは出来ないので、分かったと答えた。
朝ご飯を食べ終わって立ち上がろうとした時、私は軽いめまいを感じた。そして、なんだか眠たいと思った後、次に気がついたのは、海の中だった。目が覚めた瞬間は訳が分からなかった。息が出来なくて苦しくて無我夢中でもがいていると、呼吸が急に楽になった。海面から顔を出していることに気付いた。立ち泳ぎをしながら、360度ぐるっと見渡すと、高くそびえる防波堤が続くずっと先に、うっすらと岸が見えた。
私は、必死で泳いだ。泳ぎながら、この状態を理解した。母だ。母とあの男の仕業だ。母の新しい男はろくに働くこともせず、毎日ギャンブルに明け暮れていた。男はお金が無くなると、母に無心する。お金がないと母が言うと、男は別れを切り出した。私には、母がそんな男に貢ぎ続ける事が理解できなかったが、母は自分の子供よりもその男のことを最優先に考えていた。きっと、あの男が母に保険金目当てに私の殺害の計画を持ち掛けたのだと思った。
もし、途中で力つきることなく、岸にたどり着き助かったなら、どこか遠くに逃げようと思った。母とあの男に見つからない場所に。そして、僕は母とあの男から逃げることができた。
ただ、残してきた弟が私と同じ目に合うのではないかと心配でしょうがない。でも、警察には行けない。未成年の私は、犯罪のばれていない母とあの男の元に連れ戻されるだけだから。―
もう一つファイルを開いた。
―母は体の弱い人だった。心臓が生まれた時から悪く、薬を手放せない生活を送っていた。あの日もいつもと同じ発作だと思っていた。ただ薬を飲んでも母の苦しそうな呼吸は延々と続いた。
父が母を病院に連れて行こうとした時、父の携帯電話が鳴った。父が勤める会社からの緊急連絡。父は、母の様子を気にしながら、出掛ける用意を始めた。母は父に言った。私は大丈夫だから。父は少し心配そうな顔をしたけれども、お母さんを頼むよと私に言って家を出て行ってしまった。
私はタクシーを呼んだ。その日は、タクシーが混んでいて、到着を知らせる電話がなかなか鳴らなかった。救急車を呼ぼうと決めた時にタクシーが着いたことを知らせる電話が鳴った。私は荒い呼吸の母と一緒に病院へと向かった。その後、私と母を乗せたタクシーは事故による交通渋滞に巻き込まれ、全く動かない状態がしばらく続く中、私の肩にもたれている母の呼吸が更に激しくなった。私はタクシーの中から救急車を慌てて呼んだ。渋滞の中をゆるゆると進む救急車にイライラし続け、やっと病院に着いた時には、母の呼吸は静かになっていた。
先生が私に言った。もう少し早ければ何とかなったかもしれない。その瞬間、私は先生と父を、そして自分自身を憎んだ。先生が発した一言によって、父が家の車で病院に連れて行ってくれさえすれば、あのときの渋滞に巻き込まれずに済んだのではないかという思いを私の中で募らせた。
また、たとえ母が拒んだとはいえ、最初から救急車を呼んでいればもっと早く母を病院に連れて行くことができたのではないかと自分を責め続ける毎日が今も続いている。―
アップスタートのあるフロアに着いて、エレベーターから菫が降りた時、いつもなら既に制服に着替えているリョウが慌てた様子でお店から出てきて、こちらに走って来るのが見えた。
「どこへ行くの?」と菫が聞くと、
「家に帰る。」
菫が降りたエレベーターの矢印の表示が上向きから下向きに変わると、リヨウはエレベーターに乗り込んだ。菫もつられて、一度降りたエレベーターにもう一度乗り込んだ。
「家に帰るって?」
「弟から連絡がきたんだ。弟を守らなくちゃいけない。」
アップスタートのファイルの内容の一つがすぐに頭によぎった。
「帰っちゃだめ。帰ったら、どうなるかは、リョウが一番よくわかっているでしょ。警察に行こう。」
「行ったって無駄さ。事件が起きてからじゃないと、警察は本気で動かない。もし、僕に何かあった時は、僕のロッカーに入っている封筒の中身を見てほしい。」
リョウはそう言うのとほぼ同時に、一階に着いて開いたエレベーターの扉から飛び出して走り去ってしまった。菫もリョウの後を追いかけたが、すぐに見失ってしまった。
鞄の中から自分の携帯電話を取り出そうとして、昨日の晩、充電するのを忘れたため、電源が入らない事を思い出した。菫はアップスターの携帯電話を取り出すと、素早く番号を押し、携帯電話を耳にあてた。
リョウは、大通りに出ると、手をあげてタクシーを止めた。この時間ならまだ、渋滞に巻き込まれないだろうと思った。
携帯電話の不在着信履歴の一番上に表示されている公衆電話の着信時間を再度確認して、溜息をついた。
弟はちゃんと僕の指示に従って、母親の行動の異変を感じて連絡をしてきたのに、気付いてやることができなかった。渋滞に巻き込まれなくても、40分は掛るだろうと思いながら、2時間以上も前の着歴をもう一度見て、大きく溜息をついた。
リョウはタクシーを降りると、古びたアパートの1階の右端の扉を見た。1年以上帰っていなかったが、懐かしいという気持ちは全く起きなかった。
アパートの前の道には、車は一台も停まっていなかった。あの男はいつも駐車場に車を停めることをせず、路上駐車をして、リョウに警察が来ないか見張らせていたものだ。
何も書かれていない黄ばんだ紙だけが入った表札を見た後、クモの巣が張り、埃が表面に積もった扉をノックしても何の返事もなかった。扉の横のブザーを一応押してはみたが、相変わらず鳴ることはなかった。ノブを回して、鍵が掛っている事を確認すると、リョウは外で待たせていたタクシーに乗り込んだ。
リョウは、30分程離れた所にある防波堤の名前を運転手に告げた。バックミラーに考え込むような表情を浮かべた運転手が見えた。
「釣り人が落ちて死んでしまう事故が多くって、立ち入り禁止になった防波堤です。」とリョウが言うと、タクシーの運転手は、「ああ、男の子が一人、今も行方不明になったままの、あの防波堤ね。」と言って、アクセルを踏んだ。
リョウは、タクシーを降りて、見覚えのある景色を見た途端、自分の足が震え始めるのが分かった。1年以上も過去のことが、鮮明に脳裏に蘇ってきて、恐怖で足がすくみそうになった。
弟を助けなければと自分に言い聞かせて、防波堤を見ると、車が1台止まっているのが見えた。見覚えのある車だった。
リョウは、ゆっくりと歩きながら、大きく深呼吸すると、やめろと叫びながら走り出した。
1・2の小説を読まれてない方は
こちらからお読みいただければと思います。
一次にも引っ掛からなかった小説 1
一次にも引っ掛からなかった小説 2
それでは2の続きをUPします!!
おかけになった電話番号は現在使われておりません、という携帯電話から流れるメッセージを聞いて、ヒカルはフンっと短く笑った。
最後の客も、ツケを支払うことなく飛んでしまった。
人生がうまくいかなくなった時に歯車が狂うというが、私の場合は、はなから狂っていたのかもしれない。どれだけ努力しても歯車を修理できないのなら、いっそのこと完全に動かなくなる程、誰かが壊してくれれば諦めもつくのにと思った。
1日で300万円もの大金を調達できる訳がない。逃げても絶対にみつけられて、連れ戻されるのだろうと、重たい足取りで歩いていると、同じ年頃の女の子が、前から歩いて来るのが見えた。
ブレザーの前ボタンを全部留め、プリーツの折り目がきっちりとついたスカートに白いソックス。中学の時に自分と同じようにいじめられていた子に似ていると思った。すれ違いざま女の子と目が合うと、ヒカルは慌てて視線を逸らした。アイラインもアイラッシュもしていない、自分に向けられた真っ直ぐな瞳を直視できなかった。
ヒカルが彼女を観察して色々と思ったように彼女も自分を見て感じたであろうことを考えた。憐みだけは感じていないことを願った。
ヒカルは見慣れた薄汚れたビルの階段を上がる前に、壁に貼られた紙の前に立ち止まり、溜息をついた。この求人の紙に気付かなければ、今とは違う人生を歩めたのだろうかと思ったが、どの道、似たような状態になっていたのだろうと思った。
きっと、狂っている歯車は私というパーツを外さない限り正常には動かない。
店に着くと、ヘブンの店長が見たことのない男と話をしていた。「おはようございます。」とヒカルが言うと、「お前が言っていたのは、この子か。」と店長の横に立つ小柄で細身の初老の男は微笑んだが、ヒカルを見る目は鋭く笑っていなかった。
「はい、そうです。」とどんな時も横暴な態度をとる店長が、媚びを売るように笑って答えた。
「君、私のお願い事を聞いてくれないかね。悪い話ではないと思うんだが。」と初老の男が言った。
提案しているように聞こえるが、選択の余地など自分にないこと位、ヒカルは分かっていた。
ヒカルは歯車の回転が加速しだしたと思った。噛み合わないままガチャガチャと音を立ててグルグル回る歯車にヒカルは挟まれて、腕や足がちぎれ、引きちぎられた頭がコロコロと地面を転がって行く様子が頭に浮かんだ。
「何、誰かの忘れ物?」
と菫はロッカーの中の鞄を取り出し、扉を閉じながら、ミドリが手に持っている携帯電話を見た。
「マコのだよ。」
ミドリが微笑みながら、携帯電話を菫に差し出す。
「明らかに私の携帯と違うし。」
絶対自分では選ばないゴールド色の携帯電話を手に取りながら、どういつもりなのかとミドリの顔をじっと見た。
「バイトを始めて三か月経つと、店から渡されるんだよ。シフトの希望とか、急な休みとかの連絡用。あと、辛い事や腹が立った事を店長にメールで送るとね、その内容を個人情報が漏れないよう店長が添削した後、アップスタートのサーバーに載せるようになっているんだ。内容が本当かウソか書いた本人にしかわからないけどね。それでいいんだって店長が言っていた。自分の内にある苦しみをどんな形ででも吐き出すことによって少しは楽になるはずだって。」
とミドリが微笑んだ。
「それから、明日用事ある?なかったら、朝9時にお店に集合ね。」
とミドリが菫に聞いた。
「明日って、お店はお休みでしょ。」
「ま、とりあえず用事がなかったら来て。」
とミドリが言った。
夜、自分の部屋で、月に一度変更になるらしいパスワードを携帯電話の画面に入力して、ミドリから聞いたアップスタートのサーバーを開くと、いくつかのファイルがあった。一番上に表示されているファイルを開く。
―私は自分の本当の年齢を知らない。17歳と親が言うから17歳ということにしている。
私の親が私の出生届けを出さなかったので、私には戸籍がない。
そして、小学校も中学校にも通っていない。私が一度、自分の母親になぜ、出生届けを出さなかったのか問いただした時、母親は面倒くさかったからと面倒くさそうに答えた。
私は、その時から、親に期待をするのをやめた。
今は戸籍を得るために、親に頼らず、自分で家庭裁判所に就籍許可申請をしているところ。
私は実際の暴力を受けることはなかったけど、無関心という暴力を受けた。―
2つ目のファイルを開く。
―私の母親はAV女優。若い時はかなりの人気があったらしいけれど、さすがに30代後半になると、人気が下がり、DVDの売れ行きも悪くなってきた。そこで、私の母が思いついた事は、娘である私もAVに出演させることだった。
母はAVの仕事に誇りを持っているから、私にそれを強要することに、罪悪感はないのだろう。私が嫌だと言うと、母は悲しそうな顔をしながら、母親の仕事を軽蔑しているのかと質問する。軽蔑しているわけではない。母親がAVに出演して稼いだお金で、私はご飯を食べ、洋服を買ってもらい、高校へ行き、人並みの生活を送る事ができた。だけど、私には私の人生がある。
母は落ち目になったことが許せずに私を共演させようとするのか、それともお金のためなのか。多分、どっちもなんだと思う。
今、バイトしながら、母が満足する位にお金を稼げる職業に就くため、大学に入ろうと受験勉強をしている。弁護士になろうと思う。いや、絶対になる。―
今まで映画やドラマでしか見たことのない世界がアップスタートのサーバーの中にあった。
菫は寝坊して、9時半頃に店に着いた。
フロアでは、バイトのメンバーが私服のままソファに座っていた。皆、鉛筆を持ち、テーブルにノートを広げている。皆の視線の先を見ると、見たことのない女性がホワイトボードの前で話をしている。
ミドリが手招きをしていることに気付いて、菫はミドリの横に座った。「これ、何。」と小声で聞くと、ミドリは勉強とノートの端に書いた。
菫は事情がよく飲み込めないまま周りを見た。皆、真剣な面持ちで、学校のように寝たり、しゃべったり、漫画を読んだりしている子は一人もいない。他の子と同じように前に立つ女性の話に耳を傾けると、菫がちょうど学校で習っている二次方程式について女性は説明していた。
授業はあっという間に終わってしまい、学校では理解できなかったことがすんなりと頭に入ってきたことに菫は驚いた。真剣に勉強するのは久しぶりだと思った。
「面白いでしょ。」
ノートと筆箱を鞄にしまいながら、ミドリが言った。
「土日はここで色々なことを教えてもらえるんだ。勉強はもちろん、ネイルアート、ヘアメイク、プログラミング、投資、他にもいろいろとね。今日はこの後、ネイルアート、料理、プログラミングの授業があると思うよ。」
そう言うと、ミドリはホワイトボードの横のテーブルに置いていた箱を手に取り、戻ってきた。箱を開けると、マニキュアや、ブラシ、コットンなどが入っていて、透明、ピンク、ブルー色とりどりのラインストーンがキラキラと輝いていた。
「一通り全部受けてみて、興味を持った授業を今後も受け続けていったらいいと思う。私は図書館に行ってくるね。」
ミドリは鞄を持って立ち上がって、席を探していたヨウコに席を譲った。菫がどうしていいかまごついていると、ヨウコが箱の中の物を手に取り、「先に私からするね。これはネイルファイルというの。」と言った。
数学の時とは異なる女性がテーブルを回り、皆の様子を見ている。「あの人すごいんだよ。ネイリストの世界大会で2連覇していて、ネイルサロンを全国展開しているんだ。一緒に働いたことはないけど、アップスタートのOBなんだよ。ここで教えてくれる講師は皆、お店で働いていたことがある人で、無償で講師をしてくれているんだ。だから、私達も教わったことをちゃんと身に付けて、将来それで稼いで、ここで働く子達の講師をすることで恩返しをしていくって感じ。私、勉強は苦手だけど、美容関係だと勉強しようって思えるんだよね。ネイルアートやヘアメイクとか美容に関するものは全部身に付けて、トータル的な美のプロフェッショナルを目指すつもり。」
ヨウコは菫の右手を取ると、慣れた手つきで、親指の爪をシュッシュッと磨き始めた。
ネイルの授業が終わって、携帯電話の画面を見ると13時になっていた。疲れたけど、楽しいと菫は思った。
キッチンの方からいい香りがしてきて、お腹が鳴った。ネイルアートと同じ時間に料理の授業があったようだ。
プログラミングの授業は15時からだったので、一旦、外にご飯を食べに行こうと席を立った。
キッチンから料理を盛った大皿を手に、ボーイのリョウやトオルが出てきたかと思うとフロアのテーブルに料理を並べ出した。
ペペロンチーノやペスカトーレ、パエリア、マルゲリータ、どれも美味しそうで菫は次々と並べられる料理に見入っていた。
「美味しそう。」と、ヨウコがテーブルに置かれた取り皿を手に取り、マルゲリータを一切れ取って食べ始めた。
「え、食べていいの。」と菫がヨウコに聞くと、「いつも全員で食べるんだよ。」と言って、取り皿を菫に手渡してくれた。
ペスカトーレが食べたいと思ったが、菫のテーブルに置かれたペスカトーレは既に無くなってしまっていた。諦めて一番手前にあったマルゲリータを取ろうとした時、ペスカトーレが盛られたお皿が菫の目の前に出された。
「僕、ペスカトーレの担当だったんだ。」と、いつの間にか菫の横に立っていたリョウが、お皿を手に微笑んだ。「あっちで座って食べる?」とリョウがペスカトーレのお皿を持ったまま、一番奥のテーブルへと歩いて行った。
ヨウコを見ると、ミツコと楽しそうに話をしていた。菫は断る理由もなく、リョウについて行った。
「美味しい。」菫は一口食べた後、思わず大きい声を出してしまった。今まで食べた中で本当に一番美味しいと思った。リョウを見ると、「ありがとう。」と顔をほころばせた。
「将来自分の店を持ちたいんだ。和食、フレンチ、イタリアン、中華、何でも超一流の美味しい店があったらすごいと思わない。」リョウは遠い目をして言った。
「ここにいると何にでもなれそうな気がするんだ。」
リョウはそう言った後、フロアを見渡しながら、自分の言葉を確認するかのように頷いた。
「何、いつまで二人で食べてんだよ。デザート出すの手伝えよ。」
声のする方を見ると、キッチンの入口付近に立つトオルが、胸元で両手をハート型にして笑っているのが見えた。
リョウは親指を下にした拳をトオルに向けた後、菫に微笑み掛けると、食べ終わったお皿を持って、キッチンへと歩いて行った。
プログラミングの授業が終わり、菫がパソコンを元の場所に戻し終わった時、リョウがごみ袋を両手に持って、店の扉を開けようとしているのが見えた。菫は、早足で出口に駆け寄り、扉を開けて手で押さえると、「ありがとう。」とリョウが微笑んだ。
菫はリョウの顔を真っ直ぐ見ることができなくて、「うん。」と言いながらうつむいた。
「マコちゃん、JRだよね。僕もなんだ。」
とリョウがまだ扉を押さえたままでいる菫に言った。
「うん。」
菫は下を向いたまま、赤くなっているであろう耳を隠すために耳にかけていた髪を下ろした。
リョウと一緒に帰るのも、いつもはバイトに入る時間に駅に向かって歩くのも、土曜日に通りを歩くのも初めての事だった。
営業しているお店は少なく、ほとんどの店がシャッターを閉め、いつもは賑やかな音楽を延々と流しているお店も静まり返っていた。
陽が落ちた通りは、全ての物が群青色に包まれて輪郭がぼやけ、怪しげな雰囲気を漂わせていた。
いつもと異なる怖さを感じ、菫は真っ直ぐ前を向いて歩いた。
「どうしたの?」
とリョウが菫に尋ねた。
「なんだか怖くない?」
と菫はリョウに聞き返した。
「いつもこの通りを歩くのが恐ろしいんだけど、静まり返った通りも不気味ですごく怖い。」
菫がそう言ってリョウを見た。
「確かにね。人の温もりを感じられないのって怖いし、寂しいよね。中学生の頃、試験の前とかさ、深夜に勉強していると、突然寂しくなったりすることがあったな。この世界でたった一人ぼっち取り残された感じというか。そういう時、ラジオをつけるとね、ホッとするんだ。顔は見えないけど、人の温度を感じられてね。ラジオの向こう側に沢山の人がいるって、一人じゃないって思えるんだ。」
リョウはそう言うと微笑んだ。菫は今度ラジオを買ってみようと思った。
「でもさ、自分を食べようとする鬼と過ごすのだったら、一人の方がよくない?一緒にいると食べられちゃうんだよ。」
と菫がふざけた調子で言うと、
「鬼は人間じゃないし。」
とリョウは笑った後、急に真面目な顔になった。
「鬼は最初から鬼だったのかな。物語のように、魔法が解けて優しい人間に戻るってことはないのかな。」
と少し寂しそうに笑った。
ーつづくー
前回の小説を読まれてない方は
こちらからお読みいただければと思います。
一次にも引っ掛からなかった小説 1
それでは1の続きをUPします!!
お金が欲しい訳でも、友達が欲しい訳でもなく、もちろんバイトがしたい訳でもない。全ての記憶を失っても構わないから、体の中に充満しているもやもやとした感情を全部洗い流したい。
戻すことのできない過去。堂々巡りの後悔。
今の自分をぶち壊してみたい衝動を抑えることができなくて、菫は学校帰りに、今まで一度も訪れたことのない歓楽街へと足を踏み入れるようになった。
歓楽街へ行くことは、菫にとって、もはや苦痛でしかなかったが、だからこそ、行くことをやめなかった
街をびくつきながら歩くだけで何かできる訳でもなく、目的もなく慣れない街を歩くことに限界を感じた矢先、事の成り行きで求人を出していた店の向いのビルのアップスタートという店でバイトをする羽目になってしまったが、キャバクラで働く気など更々なかった。
歓楽街を歩き回るより、じっとして、求人広告を見ている方がまだましだと思っていただけ。
バイトを始めてみても、自分自身の心は何一つ変わらなかった。いかにもやばそうなあの貼り紙のキャバクラでバイトをしたら、何か変わるのだろうかと思うが、バイト先の店長が耳元でささやいた、死にたいのかという言葉は底知れない恐怖を菫の心の中に植え付けていた。
何だかんだ言っても、まだ自分のことが大事なのだろうと菫は思う。
週3回、中学校が終わると、菫はバイト先へ向かう。制服から私服へ着替えるために、トイレを目指して大型ショッピングモールの中を歩く。ショッピングモール全体に流れる陽気な音楽、笑い声を上げながら走り回る子供と追いかける母親、ペチャクチャと話し続ける女子高生、全てが癇に障る。
自分がこんな風になってしまうなんて少し前までは思いもしなかった。親友と思っていた友達と一緒にいても、早く一人になりたいと思ってしまう。友達が私に気を使ってしんみりしても、わざと何もなかったように明るく話しかけてきても、放っておいてという気持ちになる。以前は他愛もない話で友達と盛り上がることが何よりも楽しかったのに。
穏やかな幸せに包まれているという事に気付けなかったあの頃には、もう戻ることができないのだと思った。
あの芸能人とあのミュージシャンが付き合っているだの、何の足しにもならないような話で盛り上がっているロッカールームで、その輪に入ることなく、ミドリは何やら難しげな本に集中している。
ミドリに話し掛ける機会を探りながら、菫は何をする訳でもなくロッカールームの片隅にいて、もとは白だったと思われる黄ばんだ壁紙に書かれたイタズラ書きをぼんやり眺めていた。
誰かが菫の横に近づいてくる気配を感じたが、気付かないふりをした。
「こっちで一緒に話をしない?」
声のした方をチラッと見ると、ミツコと目が合った。
「芸能界とか興味ないんで。」
と答えると、ミツコは一瞬悲しそうに見える表情を浮かべた後、何も言わず、休憩時間が終わったのかフロアへと戻って行った。
バイトの時間中、店内の様子をぼんやりと見ていると、お客と女の子があっちでもこっちでも楽しそうに会話をしている。
横に座る30代らしき男に視線を戻すと、男は愛想笑いを浮かべて、
「マコちゃんの好きな食べ物は何?」
とまた、質問をしてきた。横についてから、男はずっと、どうでもいいような質問をし続けている。
「そんなこと知ってどうするの?」
と向いのテーブルでバカみたいに笑っている女の子の名前は何だったかと考えながら、隣の男を見ずに菫は答えた。
男からは何の返事も返ってこなかった。男の方をなんとはなしに見ると、男は下を向いていた。
表情から感情を読み取る事はできなかったが、テーブルに置いている手が小刻みに震えている。菫がただならぬ雰囲気を感じ取った時には、男は立ち上がり、菫に向かってどなり始めていた。
「お前は何様なんだ。俺はお金を払ってこの店に来ているんだ。人を馬鹿にするのもいい加減にしろ。」
菫がどうしていいか分からず、茫然としていると、ボーイのリョウがミツコを連れて、菫と怒鳴っている男の前に現れた。リョウは、怒鳴っている男に頭を深々と下げた。隣にいるミツコも頭を下げた後、菫と反対側の男の横に座った。
ミツコは、男の空になってしまっているグラスに氷を入れて、リョウが持ってきた高級そうなボトルからウイスキーらしきものを注ぎ入れた。
顔を真っ赤にしていた男はリョウの丁重な対応で怒りも徐々にトーンダウンして落ち着き、ソファに座り直すと、優しく微笑むミツコとの問いかけに、ぶっきら棒ではあるが答え始めた。
菫はリョウに促され、ロッカールームへ入り、奥の畳の間に腰を掛けた。リョウに怒られると身構えていたが、「後で呼びに来るから。それまで休憩していて。」と、リョウは優しく微笑んで、ロッカールームを出て行こうとした。
「私、バイト辞めようかな。向いてないし。知らないおやじと楽しくもないのに、ニコニコしゃべらなきゃならないなんて、私には無理。」
と菫が誰に言うわけでもなくつぶやくと、扉から出ていこうとしていたリョウが背を向けたまま、立ち止まった。
「辞められるんだったら、辞めていいと思うよ。僕を含めてここでバイトしている子達は、辞められないんだ。いや、辞められないんじゃなくて、辞めたくないと思っている。だって、ここは、僕らにすれば、セーフティーゾーンだから。ここを出てしまったら、地獄があるだけ。辞めるにしても、今日は人数がギリギリだから、シフト通りバイトしてね。さっきのお客が帰ったら呼びに来るから。」
リョウは振り返ると、さっきとは異なる寂しげな笑顔を菫に向けた後、ロッカールームから出て行った。
バイトが終わってロッカールームで着替えていると、
「あんた、目障りなのよ。」
いつもミツコにぴったりくっついているヨウコが菫を睨み付けた。
菫は無言でロッカーの扉を閉め、帰ろうとすると、
「ちょっと、待ちなさいよ。」
とヨウコに肩を掴まれた。
無言でヨウコを見ると、
「あんた、私らの事、馬鹿にしているでしょ。
自分はここでバイトしている子とは違うと思っているんでしょ。こんなところで楽しそうにバカな話しをしているあんた達と私は違うんだって。」
菫は下を向いたまま返事をしなかった。
「ミドリもそう思うでしょ。」
ヨウコがミドリに向かって言うと、何も気付いていない素振りで着替え続けていたミドリが静かな声で言った。
「とりあえず、先にミツコとリョウにお礼を言うべきだと思う。今日、二人に助けてもらったんでしょ。あんたはここでバイトしているのは、店長に連れて来られたからって思っているかもしれないけど、最終的にバイトをしようと決めたのは自分だよね。自分の意志でバイトをしているんだよね。それなら、ちゃんと責任を果たすべきだと思う。あんたのバイトの態度を見ていたら、まるっきり子供だなって、本当今まで何一つ苦労してきてないんだろなって思う。いつもつまんなそうな顔をしているけど、あんた、環境だけを変えてみても、不満は消えないよ。」
最近、相手が誰であろうと、言われた言葉がザラザラとした耳障りな雑音でしかなかった。だが、そのミドリの言葉はすんなりと菫の心の中に入ってきた。
「あなたにとったら、単なるバイトなのかもしれないし、常連さんが増えても減ってもどちらでも構わないんだろうけど、私にとっては、ここは本当に大切な場所なの。ここがなくなったら、私は生きていけない。ここは、私の生きる望みをキープさせてくれる場所なの。だから、同じ気持ちになってとは言わないけど、この店に不利益をもたらすことだけはしないでほしい。あなたももう少し長く勤めたら、私の言っていることが少しは分かると思う。だから、それが分かるまでバイトを続けてほしいって思う。」
ミツコはそう言って微笑んだ。
「ごめんなさい。」
菫は素直な気持ちで謝った。
「何なのその歌。聞いたことないけど。」
とミドリに聞かれて、また、無意識で鼻歌を歌っていたことに気付いた。
「我が家オリジナルの子守唄。」
菫は、図書館の机の上に山積みにした週刊誌を手に取った。
「オリジナル?」
ミドリは菫には一行たりとも理解できそうにない分厚い医学書に目を向けたまま聞いた。
「いつ覚えたのか覚えてないんだ。お母さんに聞いたら、我が家オリジナルの子守歌だって言ってた。」
「マコはとっても大切に育てられたんだろうね。」
「お母さんにはね。お父さんは仕事バカだから、一緒に遊んでもらった記憶は皆無。お父さんは家庭を持ってはいけないタイプなんだと思う。」
ゴホンと咳払いが聞こえた。隣の机を見ると、高校生くらいの男の子が人差し指を口に当てて、声を出さずに、しーという口の形を作っていた。咄嗟に、すみませんと菫は大きな声を上げてしまい、今度はミドリが眉間に皺を寄せて、人差し指を口に当てた。二人は顔を見合わせ、声を出さずに笑った。
ミドリはバイト以外の時間はほぼ図書館で勉強している。将来、お医者さんを目指しているらしい。菫はといえば、勉強は宿題を時々やる程度で、将来の夢なんて何にも思いつかないし、やりたいこともない。ミドリに一度そんな風に告げると、一言、贅沢病だなと言った。
ミドリの図書館通いに付き合うまでは一度も図書館を利用したことがなかったけど、案外、図書館は素敵な場所だと思う。私語を控えなければならないという事は、今の私にとって素晴らしいこと。余計なおしゃべりをしなくていいと思うと、心が穏やかなになる。 ミドリとなら、もっともっといろんな話をしたいけれど。
菫は、手にした週刊誌のページをめくりながら、医学書から視線をはずすことのないミドリを見た。
菫は昨日、ロッカーに携帯電話を忘れた事に気付いて、学校が終わるとすぐに、バイト先へと急いだ。
昨日、帰ろうとした時、バイトに入っている日なのに、明日は来なくていいからと店長に言われていたが、携帯電話がないとどうにも不安で仕方がなかった。
バイトが休みになる理由を店長に尋ねた時、大人の事情というもんだなと、欠伸をしながら答えていた位だから、携帯電話を取りにお店へ行っても問題ないだろうと思った。だが、駅に着いた時、改札口の横に設置されている公衆電話が目に入り、一応、電話をお店に入れておこうと思い直した。
公衆電話の受話器を持ち上げてから、お店の電話番号を携帯電話にしか登録していないことに気付いた。受話器を戻しながら、携帯電話がなくても電話できるところがあるか考えてみた。
掛けることのなくなった自分の家と父の携帯番号、掛けても繋がることのない母の携帯番号が頭に浮かんだ。
たばことお酒が入り混じった強烈なにおいで目眩が起きそうになるエレベーターに乗り、お店がある3階に着いたとたん、エレベーターの扉のガラス越しに、5、6人の男が今にも店に入ろうとしているのが見えた。すぐに警察だという事に気付いた。男達は身に覚えのある独特な雰囲気を身に纏っていた。
慌ててエレベーターの扉を閉め、震える手で1階のボタンを押すとエレベーターは苛々する位ゆっくりと下降し始めた。1階に着いてエレベーターの扉が開くと、ミドリが目の前に立っていた。
「ねえ、今、警察が来ているよ。」
エレベーターを降りながら、菫がミドリに言うと、
「知っているよ。」
とミドリが平然と言った。
「定期的に来るんだ。中学生を働かせてないか、売春とか法に触れる事をしていないか、確認しに来るんだよ。でも、大丈夫。ちゃんと、ガサ入れの情報が入ってくるようになっているんだ。本当かどうか分からないけど、現役の警察官から情報が入ってくるらしいよ。マコは昨日、明日来なくていいよって言われたでしょ。」
「え?どういうこと?」
ミドリはフフっと笑うと
「マコが中学生ってことは、店長分かっているよ。」
ミドリは落ち着いた様子でエレベーターの前で立ち止まったまま動こうとしない。
「そっか。ミドリは今からバイト?」
今にも警察がやってきそうで、つい早口になってしまう。
「ううん。今日は私もバイト入ってないよ。私も中学生。中3。」
と言って、ミドリは微笑んだ。
「私と同じ歳なんだ。そしたら、ミドリも今日ここに来たらダメなんじゃないの?」
ガタンと音がして動き始めたエレベーターが何階に止まるのかを気にしながら、
「とりあえず、ショッピングモールの屋上に行こうよ。」
とミドリの返事を待たずに、菫は早足で歩き始めた。
ミドリに初めて連れてきてもらって以来、菫にとってもお気に入りの場所となった駅に直結しているショッピングモールの屋上。いつ行ってもほとんど無人に近い状態なのに、花壇にある花はいつも美しく整えられ、設置されている木製のテーブルも椅子も汚れがこびりついていることがない。
「私はあの店長の娘。娘と言っても血は繋がってないけどね。まあ、養女というわけ。だからさ、私が友達と一緒に父に会いに来たと言えば問題ないでしょ。マコ、昨日、携帯忘れたでしょ。家の電話番号知らないし、絶対今日お店に取りに来ると思って来たんだ。」
携帯電話を菫に渡しながらミドリは微笑んだ。
菫は屋上のフェンスにもたれ掛り、ぼんやりと地上のごちょごちょと蠢く人間や、列をなして走る車を眺めた。空を見上げると、飛行機が真上を飛んでいくのが見えた。
「いつ死んでも構わないって時々思うんだ。自殺とかは絶対無理だけど、なんかの拍子で、事故とかでさ、死んでしまっても、何にも悔しくないというか。」
と菫がつぶやくように言った。
「やっぱり、マコは平和ボケしているんだよ。」
「そうかな。」
と菫が笑いながら、横に立つミドリを見ると、ミドリの横顔は、感情のない人形のように無表情で、どういう思いでミドリがそう言ったのかわからなかった。
ーつづくー
コンテストに出したけど、一次にも引っ掛からなかったから(^_^.)
まぁ、人生そんなに甘くはないわね~。
でも、諦めないわ(^・^)
「大切なのはどんな選択をするかじゃない。
自分が選択した人生を強く生きられるかどうか。
ただそれだけだ!」(ドラマ:サバイバルウエディングから)
なのだ~
タイトル「温もりが欲しくて」
岡田は、久しぶりの休みに、妻と近所を散歩することにした。ゆったりと散歩をすることが胎教にいいこと位は、仕事一筋の岡田でも知っている。結婚10年目にして授かった命。岡田はもちろん嬉しかったが、妻の喜び様は想像以上だった。妊娠が分かるや否や、妻が購入した物でリビングの床がみるみるうちに埋め尽くされていった。ベビーグッズはもちろん、胎教に良いと言われる物は片っ端から購入しているのではないかと疑う程だ。結婚してから子供のことを一度も口にしたことのなかった妻が、本当はそれほどまでに子供を望んでいたことに、岡田は少なからず驚いていた。
ゆっくりと歩きながら、咲き始めた桜を見上げると、ぷっくりと膨らんだ蕾をつけた枝が重なり合う向こう側に、真っ青な空が見えた。ふんわりと肌に触れる風が心地良く、岡田は凝り固まった全身がほぐれていくように感じた。季節を感じるのはどれ位ぶりだろう。
昼夜問わず働く生活になってから、20年が過ぎようとしている。妻のための散歩のつもりが、いつの間にか岡田自身が散歩を楽しんでいた。
「菫もいいけど、薺もやっぱり可愛いわね。」
道沿いに咲く花のことを言っているのだろうが、どの花のことか岡田にはさっぱり分からなかった。
「どう思う。」と、岡田の腕を妻が軽く引っ張った。「どう思うって言われても、俺にはどの花がスミレやナズナか分からないし。」と岡田が答えると、「子供の名前よ。」と、妻は笑った。「女の子かどうか分からないだろ。」と、岡田が妻を見ると、「女の子のような気がするのよね。」と妻が微笑んだ。
家から10分程歩いたところにある児童公園のベンチに二人は腰を掛けた。妻が用意した水筒に入ったルイボスティーを飲みながら、岡田は公園全体を見渡した。幼い子供が遊ぶにはちょうどいい広さの公園だと思った。あと1週間もすれば、公園の周辺に植えられた桜が満開になり、お弁当を持った親子連れで賑わうことだろう。
横にいる妻を見ると、目を細め、笑みを浮かべながら、公園の真ん中にある象の形をした滑り台を見ていた。滑り台で遊ぶ我が子を想像しているのかもしれないと岡田は思った。
二人の間には会話はなかったが、緩やかに流れる時間が心地良かった。お茶を飲み干し水筒に蓋をすると、岡田は公園の隅にある公衆トイレへ行った。用を足した後、洗面台で手を洗い終わると、猫の鳴くような声が聞こえた。鳴き声は隣の女子トイレから聞こえているようだった。猫の鳴き声だろうと思いながら、岡田はベンチに戻ってからもなぜか気になって仕方なかった。
「なあ、女子トイレを見てきてくれないか。」と岡田は隣に座る妻に言った。
「鳴き声が女子トイレから聞こえたんだ。猫だとは思うんだけど。」
「職業病ね。」と妻はベンチを立った。岡田も妻について歩き、公衆トイレの前で待つことにした。トイレは静まり返っていて、妻がトイレの扉を開く音しか聞こえなかった。やっぱりさっきの鳴き声は、トイレに迷い込んだ猫なのだろう。妻の言う通り職業病だなと、一人苦笑いを浮かべた時、2回目の扉の開く音に続いて、妻の叫ぶ声が聞こえた。
「あなた来て。早く。」
岡田は妻の叫び声がした瞬間、女子トイレに駆け込んだ。そこには、長いへその緒をぶらさげた裸の赤ん坊を抱えて立ち尽くしている妻の姿があった。
駅に直結している大型ショッピングモールのトイレで私服に着替え終わると、菫はいつものようにゆっくりと歩き始めた。ショッピングモールを出て、10分も歩かない内に、街並みがガラリと変わって、胡散臭さが漂い始めると、菫は途端に落ち着かなくなる。
サンドイッチマンや呼び込みの茶髪の男、やたらと露出度の高い服を着た女達の存在に慣れることはなく、道の両サイドに立つ彼らの姿を目の端で感じながら、まっすぐ前を向いて歩き続ける。
落書きがあちこちに書かれている薄汚れたビルの壁に、『時給3000円、勤務時間応相談』という見慣れた貼り紙をみつけた途端、緊張が僅かにほぐれると共に、溜息がこぼれた。
「あんた、働きたいの?」
突然、頭の上から降ってきた声に驚いて、菫は小さな悲鳴を上げてしまった。反射的に声のした頭上を見上げると、髭面の冴えない40代位のおやじが菫を覗き込むように見下ろしていた。全神経を後ろに立つ男に集中させながらも、無言のまま、視線を貼り紙に戻した。
「その店はやめといた方がいいよ。いい噂は聞かない。」
とまた、頭上から声が聞こえた。後ろに立つ見知らぬ男から離れるため、求人の紙が貼られたビルの中へと続く階段に菫が足を掛けた瞬間、左腕を掴まれて、後ろへ引っ張られた。
「死にたいの?」
左の耳元で、男の静かな声がした途端、鼓動が体中に響き渡る程激しく打ち始めた。
「腕、痛いんだけど。」
声が上擦りそうな気がして、下を向きながらつぶやいた菫の声が聞こえなかったのか、男は菫の腕を強く掴んだまま、貼り紙のビルの向いに建つビルへと歩き出した。菫は抵抗しようにも体に力が入らず、引きずられるようにして、男についていった。
クラシックのBGMをかき消す程、セーラー服、メイド服、白衣、パジャマ、いろんな格好をした女の子達の笑い声が店内に渦巻いている。
さっきから隣でマコちゃんと呼び続けている男の声が一段と大きくなった。そのマコちゃんが自分のことだと思い出して、菫は仕方なく隣に座る男を見た。
男の鼻の頭には、じんわりと汗の玉が浮かんでいる。安っぽくテカッているスーツから擦り切れた合皮の靴と視線を下に移動させながら、こいつも絶対社長じゃないなと、もう一度男の顔を見直すと、どう見繕っても冴えない営業マンにしか見えない自称社長男が嬉しそうにニヤついた。笑うなおっさんと、菫は心の中で毒づいた。
向こうのテーブルに座っている白髪頭のおじいちゃんは、年金暮らしだと言っていたっけ。入口近くの席にいる男は、働いている様子のない30代のおたく男。店にはいろんな種類の男がやって来るけれど、みんな隣に座る女の子が発する見え透いたお世辞を真に受けて、鼻の下をのばしている。
本当にマヌケだと菫はうんざりした。こんなやつらが会社では常識のある社会人として働き、家に帰っては子供にお説教をしているのかと思うと、この世の中全体がとっても陳腐なものに思えてしまう。大人というのは、見た目が老けているだけで、内面は子供と一緒。いや、いろんな経験を積んで悪知恵が働く分、子供よりタチが悪い。そんな事を考えていると、
「眉間に皺がよっているよ。何か嫌な事でもあったのかな?おじさんが相談に乗ってあげるよ。」
と働かずに親の年金で暮らしている40代の常連のおやじが、にやけた顔で話しかけてきた。心の中で、人の事より自分の人生について誰かに相談しなと悪態をつきながら、無理に笑おうとすると、頬が痙攣したかのようにピクついた。その時、店のボーイが菫を呼んだ。ボーイの後ろをついて歩いていくと、40代後半位のスーツを着た男の席へと案内された。
初めて見る客だった。午後4時40分に菫が席に着いてから約1時間、男は会社がいかに不条理なとこか、上司がどれだけ嫌なやつか、延々愚痴を言い続けている。仕事中にこんな店に来ている時点であんたは会社のことも上司のことも悪く言える立場じゃないんだよっていう本心を隠して、「お仕事大変なんですね。」と、心にもない事を言いながら、菫は愛想笑いを浮かべた。
男は一瞬満足そうに頷いたかと思うと、たばこの煙を吐き出し、誰かに見せるのが目的かのように、大げさに辛そうな顔を作った。小学校六年生の娘が、最近全然口を聞いてくれない、それどころか、汚いものを見るかのような目で時々自分を見るのが辛いと言うこの愚痴男のリクエストで、菫はブレザータイプの学生服の衣装から、一番嫌いなピンクのパジャマに着替えた。
レースが施された胸のあたりから首筋へ、足のつけ根から足首へと男はねっとりとした視線をよこしながら、恍惚の表情を浮かべる。
本当の娘と話しが出来ないのでここに来て、娘が家でしそうな格好を私たちにさせて寂しさを紛らわせたいだって。そんな見え透いた言い訳をする位なら、堂々と俺はロリコンだからと言う方がまだまし。どちらにしても、この店に来ている時点で私が娘でもアウトだな。心の中でそう思いながら、「お父さん、頑張って。」と、男の顔を見ることなく、無愛想に菫が言った時、見たことのない女の子が水色のパジャマを着て菫と反対側の男の隣に座った。
色素の薄い茶色の透き通るような髪は肩の上で短く切り揃えられている。
「ミドリです。」
彼女は男に爽やかな笑顔で挨拶した。
二時間六千円のセット料金の制限時間まであと10分と迫ってきた時、愚痴男は何気ない感じで菫の左腿に右手を置いた。菫がどうしたものかと戸惑っていると、
「おじさん、ダメだよ。それはこの店ではルール違反。」
とミドリが男の手を菫の太腿からそっと引き離してくれた。
次の客の要望で、黒いワンピースに白いフリルのエプロンを身に付け、プリムというヒラヒラした布を頭の上に付け終わっても、菫はすぐにフロアに戻る気になれなかった。このまま帰ってしまいたいという思いが一旦頭に浮かぶと、帰りたくて仕方なくなった。
店長には高校生と嘘を付き、家の住所はもちろん、本名すら言っていない。このまま辞めてしまっても大丈夫だと思った。
帰ろうと決心し、菫がロッカーに置いている自分のTシャツを持ち上げた時、ロッカールームの扉が開く音が聞こえた。Tシャツから素早く手を放して振り返ると、ミドリが水色のパジャマのボタンをはずしながら、畳が敷かれた奥へと歩いて行くのが見えた。
畳のスペースには、折り畳みの小さなテーブルと座布団が置かれていて、壁際にあるパイプハンガーラックには色とりどりの衣装が掛けられている。
ミドリはハンガーラックから白地に紺のラインのセーラー服を探し出して抜き出すと、ハンガーラックの一番端に掛け直した。まるで自分の部屋で着替えているかのように、隠しもせず堂々と着ていたパジャマを脱いで、あっという間に下着だけの姿になった。
「あのさー。」
とセーラー服のスカートをハンガーから外しながらミドリが言った。店に来るお客のように、ミドリの身体をじっと見ていたことに気付いて、
「ごめんなさい。」
と慌てて菫は視線を逸らした。
「別に謝ってほしいわけじゃないんだ。気を付けてほしいだけ。バイトに入って間もないから仕方ないけど、このお店ではお客が守らなければならないルールがあるのは知っているよね。その一つに、お客がお店の女の子を決して触らないという決まりがあること。あんたが我慢すりゃ済むことじゃないんだ。いい気になったおやじが他のバイトにもっとエスカレートしたことをしてくることになってしまう。だから、怒らせないように、でも、きっちりと釘を刺す。」
セーラー服の胸元のリボンを結びながら、菫の前を通り過ぎる時、
「それじゃ、先に行ってるね。次もあんたと私、同じテーブルに付くからよろしく。」
と微笑むと、ミドリはフロアへ戻って行った。菫はくしゃくしゃになっているTシャツを軽く畳み直すと、ロッカーの扉を閉めて、ミドリの後を追った。
ーつづくー
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その為にはお金と時間が必要なんじゃないかなって思ってます。
今まではどちらの使い方もとっても雑だったなぁってしみじみ思う今日この頃です。
娘の貯金額 | 今年の目標 600,000 今年 0円 昨年 600,000円 一昨年 135,000円 |
今ほしい物 | ソファ |
ピアスを 開ける 勇気 | |
ほしくてちゃんと買った物 | カーテン |
月 | 体重増減(5月から) |
6月 | +0.8kg |
7月 | -1.2kg |
8月 | +0.3kg |
9月 | +1.0kg |
10月 | +0.5kg |
11月 | -0.8kg |
12月 | -1.9kg |
1月 | -1.8kg |
2月 | 0kg |
3月 | kg |
4月 | kg |